能登半島自転車一周の記憶
能登半島――その美しい風景が、今は復興の途上にある。元旦の大地震から1ヶ月以上が経ち、まだまだその爪痕は消えない。
テレビ画面の中で続々と流れる被災地の映像を見ながら、復興の遅れに心を痛める。道路の整備が追いつかない、その事実が目に焼きつく。
かつて私がこの地を訪れたのは、十数年前のこと。地震なんて考えもしなかった頃のことだ。
地震なんて無縁だった「輪島」「珠洲」「穴水」「能登の壮大で平和な海」というものを思い出していた。
それは、40代の頃、大会で走る度に記録を伸ばしていった体力自信満々!の頃、自転車トレーニングの長距離版だった能登半島3泊4日輪行の旅。幸い画像や日記等まだ残っていたので、ちょっと回想してみようと思う。




私にとって初めての「輪行」いわゆる電車などの交通機関を使って、袋に入れた自転車を移動させて、自転車でも日本地図的に行動範囲が飛躍的に拡大するスタイル。なんと羽田を飛び立ち、1時間ちょっとで、小松空港を眺めながら漕ぎ始めていたんですね。

そこは、時間の止まったほんの小さな港町だった。(当時の日記より。)
輪島市街までは10数キロ先であるその町に宿をとった。国道からも外れ、山と海に囲まれた港町は一種の小さな独立国家のよう佇む。数メートルあるだろう岩が連なり、夕日の間で潮のしぶきを上げる。漁師たちの一仕事終えた開放感からか笑い声がいつまでも響く。
「あ、素泊まりですね」「夕飯は頼めますか?」「予約無いと~、ちょっと(気の毒そうに)」「じゃ輪島まで行こうかな」「お客さん、そりゃ今の時間から無理です。ここから山谷越えて・・、隣の駄菓子屋だったらパンくらいあるかもしれません」「・・・・」
被災地の報道を見ながら、海と山に囲まれたあの長閑な一場面が蘇る。あの旅館無事だろうか?
翌早朝訪れた輪島の朝市も思い起こされる。しかし、今はあの風景も一変してしまった。
確かに、道路事情は国道が一本通る以外は、どこに通じるのかよそ者には分からないような田舎道。珠洲は険しいアップダウン、山を越えるたびに奥まる感覚であった。道路事情が厳しいこの地。防災のために、道路整備は不可欠だ。自転車の旅の遠い想い出が、また違う想いを巡らせた。
さて、4月のトライアスロン大会に向けて、自転車トレーニングもそろそろ始動しよう。

